自意識との対峙
- zumin
- 2020年2月25日
- 読了時間: 2分
若い頃は誰にでもあって、もちろん僕にも。
その頃の僕は勉強しない人を受け入れなかった。お前が勉強してないからやろ。とか思ってた。
基本的に性格は良くないので。
言葉遣いも悪いです。
まぁそんなこと気にしてないしどうでもいいけど。
最近、学生を見ているとこれって普通の感覚なんだろうなって。
少しずつ出来るようになってきたりすると勘違いは起きるし、何よりも知的好奇心が勝ってくる。
それは勉強していれば健全。ステキ。
それで見えてくるんだよね、人間性って。
そこに頭使うの面倒くさいから結構適当に流すが、ちゃんと相談とかしてくれれば時間作るよーとか思う。
自分もそれ経験してきてるから。
この時の問題点は相手は俺に対してもそう思ってるんだよね。
相手は俺がそういうときを知らないから。
かと言ってそれ説明するのも偉そうで面倒くさいし、相手は自分スゲーってなってるからあんまり聞く耳持たないし。
俺がそうだったからよくわかるが、これどう伝える?つーか、伝える必要あんの?って部分よね。
自分で気付けよって部分なのかも。
多分、そういう部分まで俺ら教員は受け入れながらなのだよね。
少し若い頃の自分見ているようでかわいい。
俺は自分勝手やから、自分にとって成長出来るものが嬉しいから今の体制で運営しています。
これ面倒になったら多分おれは自分の研究に近いもので面白そうなテーマを学生に与える運営していると思う。
でもそれはイヤかなぁと思っているので。
だから自由にどうぞって。
たぶんその自由ってとても大変なのだと思う。
そこは一緒にいるようにしているつもりなのだが。
一緒に考えるくらい考えてきてねってスタンスはずっと。
考えてきた時間や濃度に対して僕は相手に返していきたいと思うから。それが平等なのかなって。
使える時間が限られるようになってきて、最近そんなことを考えるようになった。
一昨年の自分はそれ揺れてたよなぁ。ごめんなさい。
時間で言えば学生に戻りたいなぁとかはよく思う。
朝一はユークリッド原論を読んでからTAして、自分の研究気の済むまでして、飲みたい時は飲みに行ってっていう院生時代、楽しかったなぁ。
けど、自分の所に学生がいて、彼らの成長見ることが今は楽しいかな。
どうなることやら。
とりあえず明日は入試。
こちらは歳を取るのにまた新しい子達が入ってくる。

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